太地 舵取埼灯台 雲が湧き出でるあたりに先祖はいた 令和4年4月
自分ひとりで成長した人間はいない。家族は父母、祖父母、おじやおば、大勢が支え合ったのだ。
記憶の続く限りと、92歳になる弘資叔父、89歳の市朗従兄、その他大勢のいとこたちやまたそのいとこたちの調査と協力で一族のおよそ昭和以降の様子は明らかになりつつある。彼らの文章も増えてきた。生き生きと昔の人々の思い出が連りつつある。
家族の在り方が劇的に変化する日本社会、少し前のことでも分からなかったことが沢山あった。
4月の紀州訪問で多くの人たちにあり新しい発見があった。
(令和4年2022,9月)
その一【中学時代】昭和18年4月~20年8月迄
その二【引き揚げの記】昭和20年8月15日~9月2日
その三【豊兄】
1,少年期の思い出「人生の先生、豊兄」
2,豊兄との思い出の旅
1,須川 晃平の結婚
2,小田原「江嶋」株主総会
3,自衛隊感謝状
4,辻本 紀公子の芸術
1,叙勲に際して 「岸 達之介と須川 久彦」
2,岸家の引揚げ
3,父 龍太郎(りゅうたろう)
4,父 龍太郎から聞いた最後の話
中村 元宣(もとのり)夫妻のインドネシア体験記
続「おっかなびっくり南の国」(PDF /別ウィンドウ)
1,大前家はサッカー一家
2,大前 卓也(たくや)とサッカー
3,父 “大前 靖(じょう)” 大前 卓也 記
4,大前家のこと 須川 真澄(ますみ)記
1、生駒家の系譜 「喜代門」
2、中村家、中口家
3、生駒兄弟カナダに渡る。
1、原点は「京城帝国大学医学部」
2、「こども医療センター」の設立