昔々の先祖の話

私の先祖は紀州熊野 須川 長右衛門家だ。
16世紀以前は、大和須川 須川 長兵衛家だ。
長兵衛家は13世紀初頭、興福寺荘園下司が簀川家として創始した。

大和長兵衛家が熊野長右衛門家(17世紀には「長兵衛」で18世紀以降が「長右衛門」)へ続いていた。この調査は大正時代、1910年代に紀州博物学者 南方 熊楠(みなかた くまぐす)が大和の地方史研究家杉田 定市(すぎた さだいち)氏に依頼した内容(多門院日誌などに基づく)によるもので客観性がある。32代、800年間の歴史だ。

母方、須川 久彦家は、長右衛門の一帯の出身だが、血縁があると言う記録は今のところない。久彦の父、亀太郎(嘉永頃生まれ)、祖父彌吉(文化文政頃生まれ)が記録されるが、江戸期は姓氏がなく、明治の皆姓により「須川」と名乗ったと考えられる。

歴史学者永井 隆之先生にお聞きしたいことがあります。

永井 隆之先生(1971年生)は東北大学大学院博士課程時代、1996年2月、「狭川・簀川氏の動向」と言う論文を発表されました。「大乗院寺社雑記・研究論文集」に掲載されております。(「大乗院雑事記」は15世紀後半の大和の国状況を興福寺中心に記録した資料)

以下へご連絡いただけると幸いです。

須川 薫雄(しげお)

sugawaweapons@aol.com
写真撮影 石井 慎二


 須川(長兵衛)藤八親子討ち死す 天文12年1543 4月

 南方 熊楠(みなかた くまぐす)と須川家

 杉田 定一氏の大和須川氏と熊野須川氏への系譜研究

 須川 長右衛門家の系譜 令和4年版

 宝永大地震 宝永4年1707

 明治初期28代長右衛門、「村上」菊次郎の時代と謎

 須川氏「大和須川」から紀州熊野へ移転 16世紀後半

 柳生 内蔵助(須川長兵衛)….5代将軍綱吉とお手合わせ

 大塔の宮護良親王の兜の謎 元弘元年 1331

 全国、「須川」 地名と苗字

 章夫叔父先祖説への疑問

 久彦家のルーツは「長七」(26代長右衛門)


 須川家研究参考文献とご協力


この後の予定
大和須川氏の荘園経営と戦い
須川家の宗派と臨済宗
家紋 五三の桐の由来
昔の林業
朝鮮半島の人々
須川 喜惣治と紀州藩足軽制度
世界遺産とアンドレ・マルロー
江戸期の紀州庄屋の仕事