31代長右衛門 須川 市朗(いちろう)の記憶

須川 市朗(いちろう)は正雄の長男である。昭和8年1933生。
令和4年、89歳である。

那智勝浦町色川村樫原で生れ、「長右衛門」と言う名で出生届が出されて。さすがに不便と言うことで「市朗」に改名された。
「市」と言う字は長右衛門家、宝暦4年1754没に当主に「長市」と言う先祖がおり、そこからとったのではないか。
終戦時に12歳、新しい教育制度に振り回された。その話が第一話だ。
現在は、新宮市神倉(500段の階段を上がる大きな岩を祭る神倉神社の近く)に妻、君代と2人暮らしだ。
彼は須川 長右衛門家の本家(ほんや)だ。
彼が語る記録は須川 長右衛門家、さすがに熊野の最奥地から新時代への転換期一時期のその歴史になるのではないか。

株式会社北長(北の川長兵衛)商店製材所 新宮市堤防町
昭和33年1958頃
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