中村 元宣(もとのり)夫妻のインドネシア体験記

中村 元宣の父は私の祖父・久彦の甥,正男(須川 たみと中口 猪之助の長男)で、母は祖母・とせの姪、都雅子(つがこ)だ。

彼は昭和24年1949・1月生、慶應義塾高校・大学を卒業して大手不動産会社に勤務していた。
彼の妻、武谷 千保美(ちほみ)は作家で子供向け作品などを書いている。彼らは昭和58年1983から7年間、インドネシア、ジャカルタに赴任、生活していた。千保美は「おっかなびっくり南の国」という作品を1997年、(株)日本図書刊行会より発刊した。彼女のほかの作品はアフリカでの井戸の建設などの実話をいきいきと子供向けに書く。

私は当時、ジャカルタに何度か仕事で行く機会があり、毎回、彼らとは交流していた。
当時のインドネシアは生活環境が整ってなく、外国の人々は大いに生活に苦労していた。
メル・ギブソンの映画「危険に暮らした一年」にあったような軍指導の政権でもあった。

彼らはジャカルタ南西部の一戸建に住んでいたが、敷地300坪、建物150坪に使用人5人を雇っていた。(メイド3人,運転手と警備員各1人)警備員は玄関の前にオフィスデスクを置きそこで生活していたらしい。それでも井戸ポンプが盗難に遭い、断水したとかの話も聞いた。そういうなかで、もはや日本人が慣れていない、家庭内の使用人に対する気持ちを書いたのが、以下の文だ。続「おっかなびっくり・・」

彼の父、正男は終戦の時、朝鮮で兵役についていたが、終戦で除隊になり、叔父である久彦の京城に家まで来て、とせと私たちと一緒に湯川に戻った。
正男は温厚な性格で、彼から叱られたことはない。
湯川に戻り、勝浦の中村 都雅子と結婚した。
彼らの孫は優秀で、元宣の姉の子は、慶應義塾大学病院の内臓外科医・博士、もう一人は総務省のエリート官僚だ。
元宣と千保美の子も医師でその妻も医師だ。


続「おっかなびっくり南の国」(PDF /別ウィンドウ)

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