柳生新陰流の須川長兵衛

手前将軍綱吉と手合わせした柳生 内蔵助(須川 長兵衛子孫)

柳沢家の屋敷、愛宕か・・

大和須川氏と柳生氏は一族同士親戚関係にあったことは杉田 定一氏の「柳生六百年史」編纂とのちの熊楠依頼の調査で明らかなとおりである。(杉田、熊楠書簡、11編、熊楠顕彰館)

その研究は大和柳生氏を1250年頃から明治まで京都や奈良の古文書からまとめたものだ。須川と柳生は山の峰とはさみ隣接していた。

柳生氏も須川氏と同じく12世紀ごろから大和の荘園主であり、同様な背景であったのだろう。現在の柳生は観光地であり江戸期よりの柳生と言う人や屋敷跡はなかった。柳生氏は資料では南北朝時代、御醍醐天皇から大和の国小柳生を許されたと。

松永、筒井を戦うのは須川氏と同じ、太閤検地で領地を失ったのは8代目宗厳(むねよし)だった。宗厳は大和で戦いに敗れ諸国で武術に励む。

文禄3年1594に家康の師範になる。

9代目宗矩(むねのり)1571年生まれ、武芸に思想をもたらしたことで高名だ。「人を殺す刃は人を生かす刃であるべきや」の言葉を残す。

柳生の名は剣術の世界では架空の人物も交え、多くの小説、映画、漫画になった。その代表は独眼の「柳生 十兵衛」だ。

 柳生新陰流の居合

柳生 内蔵助は江戸期初期、柳生新陰流の高弟だった。別名「須川 長兵衛 、須川家より婿に入った剣士が創始である。

須川 長兵衛は宗厳の娘が福岡氏に嫁して、その娘が須川 長兵衛に嫁ぎ、その息子であった。宗厳の外曾孫になる。福岡氏は須川氏の北に位置し、柳生、須川、狭川福岡は姻戚関係にあった。

須川 長兵衛は柳生の子女を娶り柳生氏に入り、柳生 内蔵助と称した。

家光時代の「柳生二十傑」の一人に名を連ねていた。そして、柳沢家の師範として仕官した。柳生の門弟はそれなりに将軍家に近い大名の剣術師範となったが、柳沢 吉保(やなぎさわ よしやす)は元禄元年1688、五代将軍綱吉(つなよし)のご用人となり後に大老格として、絶大な権力をもっていた。綱吉の剣術指南ともなれば、当時の超一流の師範だっただろう。そして「柳生新陰流」は江戸初期、とても人気があったのだ。

「柳生六百年史」杉田 定市によれば元禄6年12月、内蔵助は柳沢家において将軍綱吉と手合わせした。元禄12年にも、「三学五個の小刀の術、居合わせ」を行い、柳沢家では内蔵助は綱吉将軍の担当であったらしい。それなりの人物だったのだろう。

当時、江戸では柳生 内蔵助は有名で人気のあった剣士とのことだ。

この柳生 内蔵助は須川 長兵衛から数えて3―4代目くらいに当たるのではないか。柳沢家の屋敷は江戸の中を数回移転し、高田の馬場、愛宕など、その度に将軍の御成(おなり、訪問のこと)があった・・

当時、柳生 内蔵助は剣士、師範としては最高峰にあっただけでなく、人間的にも特別な地位にあったと思われる。

 綱吉公

と言うのは、将軍綱吉は剣術など、活動的なことは得意でなく、学問やお能などが好きで、御用人、柳沢 吉保もその点に気遣いがあったそうだ。

柳沢 吉保も文人で和歌の再生、六義園の建設などの功績が残っている。

柳沢家は所領をいろいろ変わり加増され、甲州から、大和郡山藩に移る。大和は内蔵助の先祖の地であったが不思議なことに、この時代の内蔵助は創始、須川長兵衛より4―5代経ていたと思われるが、そこで内蔵助の系列は途絶えた。

柳沢 吉保が綱吉の死後、大老格の御用人を辞し、柳生(須川 長兵衛)内蔵助もお役目御免になったのかもしれない。でも江戸の人気者、少しの期間は町道場などを続けることができたかもしれないが、江戸の人間は飽きやすい。

熊楠はそれでも明治時代、高田の馬場にいた柳生氏がその子孫ではないか・・と尋ねていたが。

柳沢 吉保は綱吉亡き後、直ぐに生類憐みの令などを廃止していた実務家でもあり、徳川史上高く評価された人物だ。

柳生 宗矩の父、宗厳(むねよし)は天正12年、須川城で筒井 順昭と戦い、討ち死にした須川 長兵衛 藤八の息子と同年代だ。

須川と柳生は車で走れば5分ほどの距離、古くから須川にも柳生の子女が嫁入りしたと熊楠は述べていた。

翌年、天正13年1544に須川 長兵衛 藤八が討ち死にした相手、同じ筒井に攻撃され柳生家は筒井の軍門に下る。宗厳は15歳だったそうだ。それから彼の修行が始まり、伝説では天狗を相手に技を磨いたと。柳生新陰流の稽古には赤い竹刀を用いたそうだ。後に千葉 周作が割竹を集合した竹刀と防具を用いた。

戦国乱世に生まれた剣術は日本の重要な文化のひとつだ。

そして「柳生 内蔵助」、すなわち「須川 長兵衛」の名が出てこなければ、須川氏ファンの熊楠も大和 須川 長兵衛と熊野 須川 長兵衛(長右衛門)が同じ家であったことに気が付かなかった。

不思議で偶然な歴史であった。

Youtube 黒田藩伝柳生新陰流兵法

カテゴリー: 昔々の先祖の話 パーマリンク