齢八十の毎日

須川 薫雄(しげお)

こんなに長生きするとは思わなかったが・・・
私の父は83歳、母は88歳で永眠した。
(二人とも要介護、認知にはならずまあ良い死に方だった。)
現在、私の体調は絶好調でコロナにも罹らず80歳代にのった。
73歳の時に6か月間、「脊柱管狭窄症」の痛みに悩まされ、
77歳、「急性白内障」で左目はレンズになった。
目は左右とも1・0、近距離も良く、眼鏡は使用していない。
歯は自前28本、虫歯なし。
過去、40-50歳の間、「痛風」の発作は数回出た。(特に海外出張中に多く)それで、75歳から成人病予防の薬を4種、服用している。
昨年から8%減量して動きが楽になり、昔のスーツが入る。

母方の従兄姉は20人で1人が事故死したが全員健在。(最長85歳)
父方は10人で6人が健在。(最長90歳)長寿な家系方だと思う。

子供は3人、孫男子3人。妻の誕生日 令和5年2月

規則正しい生活に挑戦

6-7時起床、朝食、自分のスペースを掃除して8-10時、執筆活動
11-13時、週6日、運動、水泳(アメリカンクラブジム)サウナも
13時、昼食 外食、家では食べない
14-18時、文化活動(絵画、楽器、鉄道模型)と休息
19時、夕食 執筆、オークション、メールチェックなど
22時、就寝・・・・これが日常。
古いバッテリーのように頭の活動が持続しないのが欠点。
頭も体も、何事も全て休み休みになり、スピード感がない。
午前1-3時、夜中に目が覚めている。
酒は夕食と夜中の一杯。

金曜日の昼と午後は銀座交詢社で午餐会と外交研究会に参加する。
(金曜は運動と自分の文化活動はなし)・・・非日常。

毎日、5㎞を歩く。自転車は乗らない。
水泳 週4日、30分間1000m ここ10年間ほどは年間18万m

80歳になってからは1日800mにした。年間160回が目標。

現在の生活を一言であらわすと、
時間はあるが閑のない毎日

ごちゃごちゃのデスク周り

家にSUVと山荘にジムニーで運転はしている。

 
銃砲所持許可、狩猟免状と運転免許は来年更新であと3年間は継続したい。
古式銃、火縄銃、軍用銃、機関銃の研究は一段落。

 

福島阿武隈の山荘

年に6週間、福島の山荘に。まき割り、鉄道模型、渓流釣り、狩猟、楽器演奏、絵画などを楽しむ。

非日常の期間

 

自然を楽しむ

庭のテーブルの先は敷地を流れる小川、小さい滝がある

幅30m長さ100m、家を囲む紅葉落葉樹の林が自慢

文化活動

楽器演奏 ギターは9年目、先生もそれだけ年取った。
今はエレキ、フェンダー・テレキャスター

バイオリンは7年目プラス子供のころの6年間 好きな曲だけ、
先生が優しすぎて上達せず

「三田演説館の大銀杏」

「狸坂と麻布台ビル」

山荘付近の秋、欅と蕎麦畑

HPの製作と掲載、ブログの執筆

日本の武器兵器」と検索すればすべての活動はメニューに出る。

ブログ 日本の武器兵器 日本と世界の安全保障を毎日書く

 

HP カントリーミュージック.com

 

先祖調査 HP紀州須川家ゆかりの人へ

 

最近の趣味  HP鉄道模型オーゲージ.jp

現在、福島山荘の納屋に大きなレイアウトを製作中

まだ完成していない。台の周りに都会、平原そして海の背景を孫たちと作る。線路全長25mにする。2-3年のプロジェクトだ。

良い友に沢山に巡り合った

小学・中学同窓の山田 三千夫 

新潟大学教育学部付属新潟中学東京同窓会 令和5年5月17日

高校同窓の新村元陸将市ヶ谷駐屯地司令 防大卒

気賀ゼミ42年卒、36名中11名が集まる 令和5年2023,6月

ゼミには大学教授だった人が2名いるが皆各界でそれなりの地位まで行った仲間だ。

体躯会航空部同期、11名が健在、文系4人、理系7人令和5年4月

電通同期 同じ配属8名のうち2名は鬼籍 令和5年2023春

人生を共に一時期でも過ごした大勢の有能な人々との付き合いは
財産だと感じている。

 

我が家の歴史

昭和57年1982、秋 39歳

平成元年1989夏 46歳家を新築した時

令和5年2023・3月麻布十番 80歳 孫180㎝

 

自衛隊の活動

退職してからの生きがいは防衛省自衛隊モニター・オピニオンリーダー、アドバイザーなどの活動をしたことだ。

 

ハワイ太平洋軍司令部 空軍ホノルル

ウクライナ情勢は現在の最大関心事

陸上自衛隊武器学校小火器館アドバイザーの活動を20年間

 

ビジネスマンの原点はニューヨーク、レネゲードマーケティング社 1995年

どんな仕事をしたとか何をやったとかはほんの小さな現象。
それらを語るのは自己満足でしかないので、それらのテーマ、極力話はしていない。

 

最近のトピックス

麻布の家で野生のハクビシンを捕まえた。令和5年4月

 

家族葬用肖像も用意

一言でいうと努力も苦労もない人生だ。
しかし考えてみると齢80にして大きな迷いがあるようにも
感じている。自信をもって過ごしてきた自分の正しいと思う方向性が揺らいでいるのだ。自分の価値観が社会の変化に追いつかない。果たして俺の才能、俺の頭脳は、俺の生き方、文化や文明との関わり、本当はどうだったのか?周りに正しく、接して来たのか?
もしかしたら何か大きな間違いをしているのではないか?
まずは自分の死生観が何もない。

 以上

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