生駒 成彦(なるひこ)は須川 久(ひさし)の長女、眞千子(まちこ)と外科医 生駒 光博(みつひろ)の長男だ。1983年生まれ40歳。
父親と同じ、慶應義塾大学医学部を2007年卒業後、ヒューストンに渡り、外科医として半端ない有名な医師になった。
その活動が慶應義塾高校同窓会会報誌2023年春号に紹介された。
この記事内容でも、素人の私の理解でも、彼が現在行っていることはなかなか普通の日本人秀才でも出来るレベルの話でない。
現在、テキサス大学MDアンダーセンがんセンター腫瘍外科医、准教授、腹腔鏡・ロボット手術、プログラムディレクターと言う肩書だ。
最新鋭の機材を駆使して遠隔操作で正確で効率的な手術を行える高い能力の医療学者と言うこと。彼の仕事を日本語でうまく説明できる短い言葉はない。ただ、医療機関、アンダーセンは米国医療の社会では知らぬ者がいない、ハイエンドな組織だ。
彼は卒業後わずか4年、2011年に渡米したそうなので、在米すでに12年間になり、彼のキャリアは主に米国だと言える。
渡米前の成彦、節子撮影
左、塩谷 健二(塩谷 一夫の孫)幼稚舎からの同窓生
塩谷 一夫は豊と静岡県同僚部長であった、後に文部大臣に、
恒次、久美子の仲人であり、息子は立(りゅう 元文科大臣)。
そしてその息子、健二は薫雄の会社の後輩と言う縁。
節子が人の縁を語るときに必ず出た話題だ。
また、成彦人間性のすばらしい点は、余裕があり、バランスがとれていることだ。
ゴルフはアマチュアとしては最高のレベルにある。慶應義塾時代にゴルフで
小泉体育賞を受賞している。テキサスで何年か前だが大きなアマチュアのトーナメントで優勝した。
ギタリストでもある。腕は知らないがロック系だ。
妻は同じく米国の日本人医師で、4人の子がいてコロニアル風の大邸宅に住んでいる。すでに米国エスタブリッシュメントのトップランナーだ。
成彦の長男は12歳、ゴルフのジュニア大会で良い成績だったと。
生駒 成彦を紹介した慶應義塾高等学校同窓会会誌2023年春号
と以下、見開き2ページの記事
生駒 光博1949年生と須川 眞千子を巡り会したのは須川 節子(せつこ)だ。
光彦の兄、夏彦(なつひこ 故人)は金沢医大を卒業し、実家静岡県富士宮の外科医を継いだ。
夏彦もなかなかの人物であったが、彼は豊の次男、須川 恒次(つねじ)と県立静岡高校の同級生でとても仲が良かった。夏彦は頻繁に静岡市水落町の豊、節子の住まいを訪ねていた。その縁で節子が後に、光博が横浜慶友病院にいたころ彼と眞千子を合わせたのだった。豊は同院の理事であった。
節子は「生駒」と言う姓が、母親とせの実家と同じと言っていたが、
両家につながりはない。「生駒」姓は古く大和の国のものだが、江戸初期に
尾張、駿府に移動したと言われ、静岡の生駒はその系列かもしれない。
また大和からは大和須川が熊野に移転したように多くの寺社系の元武士だった
家族が紀州に移転した。もとをたどれば大和生駒で一緒だったかもしれないが。
米国のカリスマ外科医、生駒 成彦も須川 節子のおせっかいがなければ出現しなかった・・かもしれない。
富士宮の生駒医院は現在、婿の外科医が継いでいる。長男は東京で歯科医だ。
成彦の記事を読む関田 恒次郎医師(薫雄体躯会航空部同期、慶應義塾高校、医学部OB)
(この項以上)