6,都心でハクビシンを捕まえる

私(薫雄 しげお)の祖父、久彦(ひさひこ)は狩猟が趣味であった。
私も狩猟や釣りは好きだ。

狩猟に関してはライフル銃や散弾銃を使う種類銃猟の他、ワナ、編など珍しい免許も保持している。狩猟は人類の歴史と自然を知るには良い手段だ。
猪は今まで勘定すると20頭くらいを撃った。
従兄の岸 三雄(かずお)もワナ免許を持ち、湯川で猪を捉えて食べたそうだ。
章夫叔父の話によると正雄伯父も狩猟をしていたそうだ。
岸 龍太郎伯父の海釣りは半端ないものだった。
須川家はどうも狩猟民族系だ。

さて、私の狩猟は福島の山荘が舞台だ。
山荘で近所の人に頼まれてたぬき、テン、アナグマなどを捕獲した箱ワナ、古いもので針金がゆがんでいたが麻布の家に持ち帰り閑な時に修理していた。
一方、麻布に家は、豊が昭和24年に購入したが、その場所は今では都会のど真ん中だ。土を踏んで歩くことは殆どない。近所に高さ100mの高層ビルもできた。
それでいながら樹木は多く、ハクビシン、たぬき、アライグマなどが生活している。
ハクビシンは庭に水を飲みに来ていた。さらに隣が空き家になったので、そこに春なので新生活を開始か、移転したかったようだ。
我が家は3月下旬から大規模な外装工事に入った。
家はぐるりと足場が組まれ、庭は道具や材料の缶が。きっかけは孫の創太(そうた)、小学生1年生がハクビシンの通り道を見つけたことによる。崖の上のボロ屋に住んでいたのだ。

車と自転車、庭にあったものは私たちの登記になっている私道の袋小路、外の人たちは知らないスペースに置いてあった。箱ワナも。修理の途中で蓋が開いていたが、そこにハクビシンが入ったのだ。

額やお尻の毛が抜けているのは、自分で針金に体をこすりつけたからだ。

久伯父、輝一はトラップ射撃をやり国体に出場したが、狩猟はやらなかった。
久彦と濟(わたる)の昭和16年1941ごろの文通によると、ハルピン郊外国境地帯に軍務で行った濟が雉を見たと書いてあった。豊の話でも濟は雉撃ちの名人だった。
引き揚げてきた久彦は水平二連散弾銃1挺と弾薬を戦前から湯川に置いてあったようだ。
私が4歳、昭和22年に、自分の田圃でスズメを追い払うために発射したことを記憶している。

(この項以上)

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