
目次
1, 入営 昭和16年1941、3月
2, 陸軍岐阜飛行学校 昭和16年4-10月
3, 陸軍在満州国航空隊入隊 昭和17年1942、3月20日
4, 満州国ハルピン駐在 昭和17年4月―昭和18年1943、2月
5, スマトラ・メダンに移動 昭和18年2月
6, 九七式重爆撃機
7, 中支爆撃作戦 昭和18年6月―10月
8, ニューギニアに移動 昭和19年1944、1月-3月
9, フィリピン陸軍病院に入院 昭和19年4月
10、漢口戦線に復帰 昭和19年7月
11、帰省 昭和19年8月4日
12、中国大陸打通作戦 昭和19年4月-12月
13、戦死の様子 昭和19年11月12日
14、遺品、記録、遺骨とその後
1,須川 濟の入営

前列、左より岸 竜太郎、岸 達之介、本人と両親
後列、右より豊(私の父)節子(私の母)、喜美子、弘資、宮川 治子、女中頭
濟の戦歴は、当時の一軍人としては珍しいほど詳細に残されている。膨大な手紙、記録、写真などだ。本人は写真撮影が趣味であったこともあり、戦場から多くの写真を家族に送ったりして残されている。
それらの資料を久彦、久が持ち帰り、戦死後、漢口から和歌山に送られた皮トランクに遺品、受け取った手紙類、記録もあった。
戦後、湯川で久彦は専用の木箱を作らせそれらを保管していた。
軍機や検閲はあっただろうが、それらはかなり具体的な資料だった。その後、妹 節子(私の母)が整理してあった。
濟伯父の航跡をみると、自分の近しい肉親ではあるが、彼の卓越した趣味の深さ、広さには感服する。久彦が「彼の趣味、航空機操縦」と書いていたが、空を飛ぶことへの学生時代からの執着、恐らく比類なき操縦技術を持っていただろうが、戦場においても余裕があったようだ。爆撃機機長、小隊長と言う立場はあったが、写真撮影や現像に関しても。撮影だけでなく、現像器具を鞄に詰めて持ち歩く、戦地で
犬を飼い搭乗機に載せて移動した、など。また、
将校の被服や装具は自前であるが、各種の被服、防寒具、防暑服、装具などいつもパリッとしていた。一種、贅沢でセンスの良い男だったと言える。久彦(私の祖父)がまとめた息子濟の略歴は以下の通り。

2,陸軍岐阜飛行学校 昭和16年1941、4-10月
須川 濟は昭和16年1941、同志社大学を卒業後、3月、陸軍立川航空研究所幹部候補生試験に合格した。
4月、陸軍岐阜飛行学校入学、6か月の重爆撃機操縦過程を卒業した。
(陸軍岐阜飛行学校は昭和15年1940,8月に開校された。
岐阜県各務原市東部にあり、一般大学卒の飛行隊将校になる
人材の養成が目的で、幅広い、術科教科があり、将校となる
試験と受け、卒業時には少尉に任官した。)航空機操縦のためにはかなり専門的な、気象、工学、通信、各種法律規則など幅広い学科の
習得が必要だ。航法は現在のように電子的機器がない時代、全て機上で計算した。円形の計算盤を腿の上に置き距離、時間、方角、風向、風速などの要素を入れて針路を決めるものだ。計算が出来ない人間はまず操縦士の適性はない、とされていた。地上の目標がない帝国海軍各位は航法計算は特に優れていたと言われて、南方洋上では陸軍機を誘導したそうだ。

この学校の課程は1年間だったが、濟は操縦免状を所持していたので、半年間になったのであろう。
卒業は日米開戦の2か月前のことだった。


陸軍学校時代はまだ大学航空部の雰囲気が残っていた。

卒業の時であろう。曹長に昇進。
3,陸軍在満州国航空隊入隊 昭和17年3月20日 壮行会
濟は満州国哈寧濱(ハルピン)の陸軍第九四六部隊南隊に入隊した。
昭和17年1942、3月20日、赴任にあたり、京城の実家に寄り、盛大な壮行が行われた。
その様子は、妹節子が小型カメラベビーパールで、また兄久が自宅横の岩山の上からローライコードで撮影した写真が残っている。
小型カメラの写真はデジタル処理をして以下のようになった。5カットある。
庭に集まった大勢の親類縁者、知人、近所の人々、現地の人も沢山参加して(およそ200名)壮行した。万歳三唱の音頭は豊(ゆたか私の父)、が執った。当時、この規模の壮行が行われた軍人は職業軍人を含め、珍しことではなかったか、しかもその記録が残っているの不思議だ。
当日、京城を出発したそうだ。弘資叔父の記憶にあり、この
時は濟も少し余裕があり、弘資の動力飛行機の上反角を修正してくれたりしたそうだった。
私が生まれる丁度10カ月前のことだった。


以下の写真は久が自宅庭横の岩山に上り撮影した。弘資が手伝った。




この帰省、壮行会では家族・親族との集合写真はない。

須川 濟(わたる)の戦歴 【ページ構成】
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須川 濟(わたる)の戦歴 (9〜12)
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