豊・節子の伊豆高原別荘のその後

(平屋の部分、手前の土地も鐵朗家の土地)

豊と節子が静岡にいた昭和35年1960頃、豊が知り合った医学評論家 式場 龍三郎氏が唱える健康生活、理想郷に豊は共感しその一角を購入した。理想郷は伊豆高原、大室山(火山)とその隣接するところから溶岩が流れ出て富戸岬まで行った大元、現在のサボテン高原の真下の土地を購入した。いつか別荘を建てるのだと。豊は40歳代だった。家を建てたのは豊が神奈川県に来てからで、昭和42年1967頃、50歳代だった。
家は、平屋の建物で岩作りの風呂があり、前は芝生、その先は雑木林だった。
私や弟の恒次、こどもが各々3人いて、休みに行くに最適の場所だった。そこは自然があり、高原で涼しいが海が近いのだ。
温泉、海水浴、プール、遊園地などが回りにあった。
当時の家々は残っているものもあるが、多くは建て替えられていた。

伊豆の別荘は鐵朗の所有で、令和4年10月、久しぶりに博子、賢一、典子と私たちの友人夫妻を訪問したので、そこにも寄った。鐵朗も静岡から来ていた。
私たちの友人、昔ローソンの社長であった藤原 健次さん夫妻は数年前から、鐵朗の家から遠くないところに移り住んだ。健次夫妻の家は600坪あり、夜はバーベキュー、翌朝ピザ焼きをやった。
健次さん夫妻はゴルフが趣味で川奈コースなど近所のゴルフ場の常連だ。

豊が別荘を建築した直後、日大教授であった章夫(ゆきお)叔父は3軒ほど離れたところに豊設計の家を同じ建築会社に依頼してコピーした。彼らは兄弟で行き来するのを楽しんでいた。
その家は、現在別な人の所有だが、綺麗に手入れされており、誰かが生活していた。
伊豆高原駅は当時とは比べものにならないほど、しゃれたところになっていて、桜並木の坂にはレストランが軒を連ねていた。
以上

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