―非日常性への帰趨―
紀公子は岸 龍太郎、あいの三女で和歌山の歯科医辻本 芳孝(つじもと よしたか)の妻である。昭和26年1951月生まれ。
彼女は、画伯で独立美術協会会友、毎年秋、新国立美術館で開催される「独立展」に作品を出している。
彼女は10年ほど前、私たちとその友人に交じり、ポルトガルに旅行した。
その時、毎日顔を合わせいろいろな話をしながら美術とその背景の話題を聴いた。それらはとても興味深い内容だった。
その旅行中、私の妻 博子、友人の藤原 操夫人と3人でスペインサンディエゴの聖地に行った。私と仲間は別なことを。
今回、89回独立展には彼女がおよそ3年前コロナ発生直後のイタリアベネチアのカーニバルに行き、戻ってから隔離されたが、それが作品のテーマだった。
独立展は昭和15年1930に当時30代の新進気鋭の画伯が集まり既存の価値観にとらわれない団体を設立したことに始まり、多くの迫力ある画伯の集まりが主催する絵画展覧会の主流だ。
コロナ前の例年は紀公子も上京して、東京のいとこたちと会い、食事をするのを例としていたが、昨年、脳梗塞で倒れリハビリ中なので、作品だけが来た。
彼女のそれまでの作品は、使われなくなった「シンク、洗面台がテーマだった。
陶器に入る割れや罅(ヒビ)、表面の疲れ、蛇口の涸れ錆、全体の汚れが象徴したのは、万物共通の「経年」、つまり時代経過であったのではないか・・本人は語らなかったが。作品は入賞した。
(いみじくもイーロン・マスクがシンク(sink)をツィター社に持ち込み、考えろ(think)と皮肉ったニュースで、思い出した。)
今年の仮面は、猫が被る仮面も含め、現実からの逃避、同じく意識の変化、時代の変遷を意味したのか。コロナが世界を変えることなのか。我ら凡人には何回も眺めなければ意味が分からない。
彼女の絵画は時がもっと評価するだろう。
それにしても、100号、200号の大作を医院の玄関を改築して展示する、
辻本氏と家族の協力は計り知れない。辻本夫妻には一男一女あり、長女は
歯科医である。
辻本 紀公子の創作活動さらなる発展とまた作品と共に独立展に現れ、ゆかりの人々と楽しい時が過ごせることを望む。
なお、須川家ゆかりの人にはもうひとりアーティストがいる。
須川 徳郷家系列、田辺の委洪(いこう)の長女、須川 まきこだ。
京都で美術を学び、イラストを基調とした女性画で人気がある。個展も開いている。辻本 紀公子とまったく異なるジャンルのアートだが、父親は歯科医だった。