須川 豊の生き方

須川 豊は私の父だ。
一番書き難い対象だ。最後の最後にするつもりだったが、
弘資(ひろすけ)叔父、母の弟、の要望で書き始めた。
難しい理由は、彼はそれなりに複雑な人間であったのだろうが、まずは本人が自分のことをあまり語らない、たまに語っても専門性が高い、私たちは真剣に聴いていなかったで、はたして彼がどのような意識で何を目指していたのか不明な部分が多かったからだ。
第一部は戦前の彼だ。京城で15年間、一緒に暮らしていた弘資叔父の記憶と弘資本人の記述で構成した。
豊自身の原点は何と言っても「京城帝国大学医学部」だった。

その1,原点は「京城帝国大学医学部」
その2,「こども医療センター」の設立
その3,と続く。

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