2,系譜図と移動図

〇江戸期における各家の系譜図
熊野の北東部、約10㎞四方に江戸期、須川 長兵衛、
須川 忠兵衛、そして須川 徳郷家の3家が存在していた。
その系譜は不明であったが、1600年慶長年間に豊臣政権浅野家の施策で大和から移転した須川 長兵衛家が始祖であろう。
お互いの家が、他の家の情報に乏しく、認知が低かったので、その系譜を明らかにするのは大変困難であった。田辺徳郷家の情報から以下の制作にたどり着いた。

〇人々の移動
明治から昭和にかけて、江戸期に須川各家が暮らしていた、熊野山中は本宮大社、新宮大社、那智大社に囲まれた、現在の世界自然遺産、熊野古道だ。
(自然信仰的、スピリチャルな見方をすれば日本有数のパワースポットのひとつであることに間違いないエリアだが。)
この各地より恐らくほとんどの家族は田辺から新宮、さらに三重県西部にかけての海岸部に移住した。
江戸期よりもその傾向は始まっていたが、経済が発展するに、山奥の暮らしより幾分でも都会的な社会にと言う流れだった。そして現在はまたそれらの地域から、関西圏、中部圏、首都圏にと人の流れは止まらない。

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