4 大前家のこと

須川 真澄

大前家は古いと思います。平家の落人と聞いたことがありますが、詳しくは判りません。大前家は、元々同じ山林業として須川とは行き来があったのではと思います。
須川家と血縁関係ができたのは須川竹吉と大前とめの婚姻が始まりのようです。
この年代の大前家は、大前才蔵が長男で大前とめは長女で4人目の子供で、上に二人の男子がおりましたが戦死したようです。
サッカーの大前は、末弟の美喜三の家系です。その長男が大前 靖(じょう)で、慶応でサッカーをしておりました。卒業後は色川へ帰り製材業や町会議員などをしておりました。
新宮高校の監督やサッカーの洋書の翻訳などをし、和歌山県のサッカー界に貢献したようです。ちなみに私の母・三千代は末妹です。
長男・卓也(たくや)も慶応でサッカーをしました。現在は東京の大田区在住です。年齢も80過ぎです。兄弟皆サッカーをしました。次男・欣也(きんや)は東京農大を出て和歌山県庁へ勤務しました。今、78歳ぐらいでしょうか。
三男・和也(かずや)も慶応でサッカーをしましたが、肝臓がんを患い50歳くらいの時に亡くなりました。貴兄が関わったのはこの和也だと思います。私の家内や弟が同級でした。
四男・四郎(しろう)は法政大学卒が、教員になり、新宮高校の監督をやり、新宮在住です。ちなみに、彼らの伯父・大前 圭(けい)も東京農大でサッカーをしていたそうです。
女の子は二人おりますが、一人は東京在住で、姉の方は勝浦の水産会社に嫁いでおりましたが一昨年、亡くなっております。
肝心の本家の方は、交流がなくよくわかりません。
以上 

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