「記憶にある人々」カテゴリーアーカイブ
豊・節子の伊豆高原別荘のその後
(平屋の部分、手前の土地も鐵朗家の土地) 豊と節子が静岡にいた昭和35年1960 … 続きを読む
ゆかりの人トピックス
先祖や記憶にある人々の記録を調べるとても重要でそれを記録に残すのは意義のあること … 続きを読む
3,陸上自衛隊土浦駐屯地70周年記念式典で須川 薫雄(しげお)感謝状を贈呈される
武器資料館小火器コーナーは陸上自衛隊茨木健土浦駐屯地武器学校にあり、日本の小銃や … 続きを読む
2,小田原「江嶋」(株式会社丸江)の株主総会
神奈川県小田原の「江嶋」は私(薫雄)の妻、博子の実家だ。寛政年間より続く古い商家 … 続きを読む
1,須川 晃平(すがわ こうへい)の結婚式
令和4年11月27日目白椿山荘にて 須川 晃平は豊・節子三男の鐵朗(てつろう)と … 続きを読む
5,辻本 紀公子(つじもと きくこ)の芸術
―非日常性への帰趨― 紀公子は岸 龍太郎、あいの三女で和歌山の歯科医辻本 芳孝( … 続きを読む
2,新潟県衛生部長夫人時代の節子
県の衛生部長は厚生省の課長より格上かと言えば、そうでもなかったようだ。しかし地方 … 続きを読む
母方 須川 弘資叔父
須川 弘資(すがわ ひろすけ)叔父は母の弟で、久彦、とせ の末っ子だ。京城で生ま … 続きを読む
2,豊兄との思い出の旅
平成4年1992年6月23日~7月5日まで親戚総勢6人でドイツ・スイス・フランス … 続きを読む
1,少年期の思い出「人生の先生、豊兄」
豊兄(令和4年9月自筆原稿) 私が小学入学(昭和11年1936)時、家族は龍山区 … 続きを読む
須川 豊(すがわ ゆたか)その一
須川 豊(明治44年1911、3月生まれ、1995年3月没 享年84歳)は私の父 … 続きを読む
4,父 龍太郎から聞いた最後の話
平成15年2003、8月22日(金)岡山駅を12:07発のぞみに乗り、新大阪、梅 … 続きを読む
4,父 龍太郎から聞いた最後の話
平成15年2003、8月22日(金)岡山駅を12:07発のぞみに乗り、新大阪、梅 … 続きを読む
3,父 龍太郎(りゅうたろう)
幼少時代 私の父、龍太郎は明治天皇崩御の年、明治45年(大正元年)1911、須川 … 続きを読む
3、生駒兄弟カナダに渡る。
祖母、須川 とせ の父は生駒 豊三である。豊三は、湯川「喜代門」の現在より4代前 … 続きを読む
1,生駒家の系譜 「喜代門」
生駒家は明治初期、湯川の「喜代門」に発して、私の母方祖母「とせ」の父の出身家だ。 … 続きを読む
生駒、中村、中口家の系譜
母方の祖母、須川 とせ の実家は湯川の「喜代門」(生駒家)から明治中期に分かれた … 続きを読む